1、自然を育む森林づくり
動物はすべて究極的に食べ物と呼吸(酸素の生産)において植物に依存しています。海陸を含めた動物が繁栄するためには、陸の植生が豊かでなければなりません。「植生が豊か」とは、植物の種類が多様で、しかも個々の種当たりの自生密度が高いことです(一種類の樹だけが密生しているようなのは、植生豊かとはいいません)。
海陸ともに動物達が食べ物に困窮しない森づくりを私は求めています。具体的には、1:植林する樹の本数の約2割を最も多くの動物達が食べ物としているドングリ類を、苗木や苗木がない場合は種実でいいから、造林地の中に他の樹の間に混植するとこ。2:育木のために樹に絡んでいるヤマブドウやコクワのつるを除伐しているが、これらの実は多様な動物の主要な食べ物であるから止めること。3:樹間の草地も微生物や動物の棲み場であるから、草刈りもやり過ぎないこと。を求めています。
「海の生物を育む森づくり」ということも私は唱えていますが、それは、森が植物や動物で豊かになれば、植物を原料(落ち葉や枯れた草木など)として、これを微生物や動物達が分解し、水に溶質する養分として土壌に溜まり、この養分を含んだ水が海に注がれ、海の動植物を豊かにするという主旨です。 「森づくり」は、動物の餌となる草木が多くなることで、これは人と「熊を頂点とした野生動物」が棲み分けして共存していくためにも、絶対に必要なことと私は考えるからです。
いずれにしても、植生豊かな森林は動物だけでなく、すべての生物を育み、人に自然の恵みと「畏敬の念と安らぎ(これは表裏一体のものだと思う)」を与えてくれる偉大な存在だと私は看取しています。皆さんはどう考えますか。
以下の文は、2004年12月16日の「北海道新聞」の「読者の声」の私の投稿文です。
「人と動物共存へ豊かな森づくり」
本紙11月26日朝刊によると、北海道森林管理局と道漁連が提携して国有林で全道規模で資源豊かな海づくりのために植樹や草刈りを行うという。理由は「森づくりで、土壌に養分が生じそれを含んだ水が海に注がれ、海の資源を豊かにする」からという。これは大変結構なことだが、これにぜひ、「陸の野生動物を育む森づくり」という点も加えて欲しい。水に溶質する養分は植物が原料で、これを生産しているのは微生物や動物達である。よって、豊かな海づくりと多様な動物を育む森づくりは一致するものである。
具体的には、植林する樹の本数の2割を最も多くの動物達が食物としているドングリ類を、苗木や種実でいいから混植してほしい。また、育木のために樹に絡んでいるヤマブドウやコクワの木を除伐しているが、これらの実は多様な動物の主要な食物であるから止めて欲しい。樹間の草地も微生物や動物の棲み場であるから、草刈りもやり過ぎないことである。動物を育む 森づくりは、「豊かな海づくり」だけでなく、人と野生動物が棲み分けして共存していくためにも必要である。
2、所感
「今年(2004年)本州で月の輪熊が人家に現れたり、人身事故が多発しているのは、熊が台風によるストレスで凶暴化したためだ」という一部研究者(?)のコメントについて
<私の見解>
今年が過年度と比較して、月の輪熊の人里への出現が多いか、また人身事故が確実に多発しているかを、年度毎の具体的な数字を基に比較検討しなければ多発していると断定はできない。それを行った結果、多発していると断定されれば、原因と考えられる事象を一つ一つ検証し吟味しなければ原因は特定できない。
もし仮に台風の影響で人里への熊の出現が増加しているとすれば、生物倫理的に、熊も「天災の被害者」として扱うべきで、人家付近に単に出没していることを理由に、人に危険だとして予防駆除(殺す)すべきではない。
本来の棲み場である奥山に戻るのを見守る度量が必要である。熊研究者はそれを現地で実践(放置しておいたら、人を襲う熊か否かを判断し提言すること「挙動を吟味すれば判断できる」)すべきである。
熊は日本の自然の頂点に位する獣で、日本に居て当たり前な獣だから、殺さないことを前提に対処すべきである。熊の研究者であることを標榜するものが、なぜ熊を殺さないで、本来の棲み場である奥山に戻るのを共に見守ろうといわないのか。熊は危険だから予防駆除してもいいんだとか、頭数さえ減らせば被害が減らせると主張する者は、熊を含む野生への理解度が貧弱で、熊の生態はもちろん、本当の自然の有り様が分かっていないとしか私には言いようがない。
熊に襲われた場合に「頚部を両手で被い、地面に伏せ、死んだ振りをせよ」という熊専門家(北海道だけではなく、本州にも居るが)の発言は妄言としかいいようがない。熊の攻撃に意識ある状態でじっと我慢できる人間がどこにいようか。このようなことを言って、よく恥ずかしくないものだ。こんな研究者をマスコミが専門家としておだてるからよくない。
一般の人達の方が自然と人間の有り様を公正に見ていると私は実感している。野生生物の研究者を標榜する者は、単独で自然にどっぷり浸かり(自然とは一人で対峙することが必須)自然から自然の何たるかを学ぶべきである。自然に一人でどっぷり浸かれば、自然は色々なこと(自然の本当の姿や人の有り様や自然と人の有り様など様々なこと)を教えてくれる。