「世界自然遺産」候補地の「北海道の知床」で熊の駆除!!!
「北海道新聞」6月22日の記事に、「世界自然遺産」に登録しようと進めている「北海道の知床」の知床五湖の遊歩道で、母子グマが観光客を威嚇したために、その母子グマの駆除を進めているというニュ−ス。さっそく、同紙の「読者の声」に「遺憾である旨」の投書をしました。
以下の文章が同紙の6月28日の「読者の声」に掲載された私の投書文です。
<知床五湖でのヒグマ駆除は言語道断>
22日朝刊第2社会面の「知床五湖 遊歩道閉鎖2週間」を読んで、ヒグマに対する行政の施策の貧困に情けなくなった。知床五湖の遊歩道で、母子グマが観光客に異常接近して威嚇したため、四基のワナを仕掛けるなどして、そのクマの親子の駆除を進めているというが、これは言語道断である。
私はヒグマの研究を35年間続け、現在も北海道野生動物研究所所長を務めているが、母グマが子グマを保護するために、クマから見て、異常接近した人間を威嚇するのは当然の行為で、これを異常と見るのは人の身勝手で誤りである。接近したのはクマではなく、人間の方なのだ。
知床五湖付近は大昔からのヒグマの本来の生息地である。五湖付近はクマを排除してまで、観光客を入れるような場所でないことを冷静に思い返してほしい。世界自然遺産に登録しようという地域で、緊張感ある北海道の自然を創出している自然の元締め的獣であるヒグマを駆除するとは情けない施策である。
<所 感>
知床が自然保護という観点から世間に注目され始めたのは、1981年に林野庁がミズナラを主体とした大径木を伐採する計画を公表、これへの反対運動からである。この運動で伐採量も減らすことができた。当時の運動は「広葉樹の大径木が少なくなった北海道の森林を子々孫々に残そう」という純粋な発想が原点であったと私は思う。
その運動の後、地元斜里町でその運動の元締め的存在であった「知床自然保護会長」の牛来氏が町長に当選して以来、知床の自然に対する取り組みはおかしくなってきた。
ヒグマを誘い餌でだまし、檻ワナで捉えて、首にやたらと電波発信器をつける。人の恐ろしさをしらしめるためにと、「お仕置き」とやらの「リンチ」をする。護衛のハンタ−をつけての五湖巡りの企画。クマが入れないように高さ数メートルの高架道を五湖に造って、観光客を入れようという発想。などなど、おかしいことばかり、おやりになっている。
知床では、行政も研究者もマスコミも自然(野生生物)のために益になることを、いままで何一つしていないというのが、私の率直な感想である。
<私が考える知床で人が許される行為>
1:知床は「自然の保全と観光利用」という観点から、冷静な吟味が必要。知床は、「自然の保全が主で、観光などのための利用はあくまで従であるべき地域」というのが、1981年の伐木反対運動を、冷静に思い返した場合に、発想してくる原点のはずである。「自然に負の影響」を極力与えないで、利用すべきで、人工物は極力造らないこと。
2:野生動物を管理するという、おごった考えは持たぬことだ。自然物(生物)は総て自然の摂理に任せきった保全をすること。絶対に動物を殺さない。樹木は伐らないことです。熊だって、鹿だって、自然放置しておいても、増えすぎて半島が熊鹿で埋め尽くされるようなことが、ありえないことは、江戸期の松浦武四郎(1845年〜1849年に蝦夷「北海道」を調査した)などの紀行を見れば分かること。半島部の植生が鹿の食害で変化しているというが、これは鹿が多くいた明治初期以前に自然が回帰しているもので、これは自然の摂理と解すべき事象。鹿を駆除すべきではありません。鹿が増えたのは天敵の狼を明治に絶滅させたからだと、言う見解が最近目に付くが、松浦武四郎や窪田子蔵の「協和私役(1856年)」には熊が鹿を襲い喰う事象はいくつも出ているが、狼が鹿を喰う話は出ていない。
3:観光には、五湖の一部でも見渡せる場所に、少し高めの展望塔を造りそこから見る。
4:熊に発信器をつけて、それで熊の居場所を捕捉して、観光客に熊を見せるなど、もしそのような発想を企画するとすれば、それは言語道断というべきであろう。
5:人家付近(番屋は除外)に出没する熊、農牧地に出没する鹿の対策は別問題として、扱うことだ。これについても、有効な対策は在る。
<皆さんはどう考えますか>
公開文書 「 危機にたつ知床の動物たち」を、ぜひお読み下さい
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