1,<「蝙蝠」の語義について>
和語の「コウモリ」は、古代中国では漢字で「蝙hen、蝠fuku、蝙蝠hen-puku、服翼fuku-yoku(以上の4語は「説文解字」A.D.100年許慎編纂)、伏翼fuku-yoku(「神農本草経」漢時代(B.C206-A.D220)編者不明」と書き、「蝙蝠」は唐代の長安地方の発音である「漢音」で、「ヘンプク」と発音した。その字義は「蝙」が「(扁)は平たい、(虫)は動物」、「蝠」が「へばり付く動物」の義で、「飛ぶ姿が平たく見え、物にへばりつく生態から」の当て字。「伏翼」は「昼伏し(休憩し)翼あるものの義」である。蝙蝠は古代中国で本草(薬物)の一つとして用いられており、現存する中国最古の薬物書である「神農本草経」に「伏翼」としてその名がある。「李時珍(1518-1593)」編纂の「本草綱目(1596年刊)」には、「伏翼は形が鼠に似て灰黒色だ。薄い肉翅niku-shiがあり、四足、及び尾を連合して一hitotsuのようになっている。夏は出て冬は蟄し、日中は伏して夜間に飛び、蚊ka、蚋buyoを食物としとある。薬効として、「 目瞑癢痛ku-mei-you-tsuu」目を明にし、夜間物を視るに煙あらしめる。久しく服すれば人をして熹樂ki-rakuし、媚好bi-kouし、憂無urei-naからしめるとある。
和語としては、1713年頃に寺島良安が編んだ江戸時代の百科事典ともいえる「和漢三才図会」に、<和名、加波保利(カハホリ)、今、加宇毛利(カウモリ)と云>とあり、当時既に方言は別として、二つの発音が流通していたといえよう。「コウモリ」の語源は岸田久吉氏(1924年)によると、「カハホリ」は「蚊(カ)、屠(ホフリ)」で、これが「カハホリ」と転じ、さらに転じて、「コウモリ」になったと、新井白石著(1719年)の「東雅」にあるという。「カハホリ」の呼称は、明治24年(1891年)や1919年(大正8年)発行の日本動物学会の「動物学雑誌」でも使用されている。「コウモリ」の呼称が日本動物学会で一般化したのは、1924年(大正13年)以降のようである。日本では現在「コウモリ」を漢字で「蝙蝠」と書くが、この発音は「コウモリ」が一般である。
主として北海道産コウモリ類の和俗名とその命名者<動物学者の岸田久吉氏が命名した種類(出典:岸田久吉 哺乳動物図解、1924年)、ホホヒゲコウモリ(Myotis mystacinus)(頬髭蝙蝠)、名の由来は「頬に髭がある」こと。
コヤマコウモリ(Nyctalus furvus)(小山蝙蝠)、山蝙蝠に比べ身体が小型であることによる。
アブラコウモリ(Pipistrellus abramus)(アブラ蝙蝠「アブラの漢字が不明」)、長崎地方では、方言で「アブラムシ」と呼称していたという(波江元吉「動物学雑誌、1889年」)。イエコウモリの異称である。
ヒナコウモリ(Vespertilio superans)(雛 蝙蝠)。
カグラコウモリ(Hipposideros turpis)(神楽蝙蝠)、顔相が神楽の面に似ていることによる。
<動物学者の岸田久吉氏と森為三氏が命名した種類(出典:黒田長禮 日本産哺乳類目録、1938年)>
ヒメホホヒゲコウモリ(Myotis ikonnikovi)(姫頬髭蝙蝠)、姫は飾り言葉である。
ヒメホリカワコウモリ(Eptesicus nilssonii)(姫堀川蝙蝠)、姫は飾り言葉、「堀川」は「台湾哺乳動物 図説」の著者「堀川安市氏」の名を付したもの。
<動物学者の黒田長禮氏が命名した種類(出典:黒田長禮 日本産哺乳類目録、1938年)>
イエコウモリ(Pipistrellus abramus)(家蝙蝠(Murina aurata)(小 天狗蝙蝠)鼻が筒状に出ていることによる。本種の中国名は「金管鼻蝠」というが、その由来は「体背面の毛色が金色を帯びている」ことによる。
<動物学者の波江元吉氏が命名した種類(出典:動物学雑誌、1883, 1889〜 1891年)>
モモジロコウモリ(Myotis macrodactylus)(腿白蝙蝠)鼠径から下肢にかけて白毛があることによる。
ウサギコウモリ(Plecotus auritus)(兎蝙蝠)耳介が長大であることによる。本種の中国名 は「大耳蝠」というが、その由来はやはり「耳介」が大きいことによる。
ヤマコウモリ(Nyctalus lasiopterus)(山蝙蝠)、山に棲む蝙蝠の義で、山に棲む大型の蝙蝠とい う表徴性がこの呼称には感じられる。
キクガシラコウモリ(Rhinolophus ferrum-equinum)(菊頭蝙蝠)、鼻部に菊の葉状の飾りがある。
コキクガシラコウモリ(Rhinolophus cornutus)(小菊頭蝙蝠)。
チチブァ(Barbastella ucomelas) (秩父蝙蝠)、1883年に埼玉県秩父で初採集されたことによる。
テングコウモリ(Murina leucogaster)(天狗蝙蝠)、鼻が筒状に出ていることによる。本種の中国名は「白腹管鼻蝠」というが、その由来は「刺毛が銀色で、離れて見ると身体が幾分白っぽく見える」ことによる。
アブラコウモリ(Pipistrellus abramus)、アブラムシ の異名である。
<動物学者の今泉吉典氏命名>
カグヤコウモリ(Myotis frater)は青森県竹館村の竹林で採集されたので、「かぐや姫」に因んで、亜種名「M. f. kaguyae」として、1956年に命名したもので、種名としても流通 している。
オオアブラコウモリ(Pipistrellus savii)、アブラコウモリ(Pipistrellus abramus)に対比し、大型の義の呼称で、1960年に命名。
ノレンコウモリ(Myotis nattereri)(暖簾蝙蝠)、尾膜の後縁の尾の両外側部の細毛を暖簾に見立てて、1949年に命名。
ド−ベントンコウモリ(Myotis daubentonii)は種名「daubentonii」を俗名として1970年命名。なお、「da ubentonii」はフランスの鳥学者E.L.Daubenton(1730生-1788)の名に由来する。
オヒキコウモリ(Tadaridateniotis)は1949年命名だが、漢字名は未提案である。敢えて漢字で表記すれば、「尾を引きずって」と記述しているから、(尾引蝙蝠)であろうか。
<「アブラムシ」の語源>
長崎を「基産地」とする蝙蝠1種を、種名「abramus」を付して学名記載したのは、「Temminck 」である。その標本は、ドイツ人で長崎のオランダ商館の医師であった シ−ボルト(P.F.Siebold、1796生-1866没)が、長崎滞在中(1823-1829)に収集したもので、1830年にオランダに帰国後、それを基にライデンの国立自然史博物館の初代館長であったテミンク(C.J.Temminck、1778生-1858没)が、動物学者のシュレ−ゲル(H.Schlegel、1804生-1884没)の協力を得て記載したものである。なお、SchlegelはTemminckの死後同館の館長になった。記載は最初1840年にMonographiesde Mammalogieの第2巻にされ、さらに同じ内容の記 述がP.F.Siebold編の FaunaJaponica Mammiferes編(1842-1844年)に掲載された。記載はいずれもフランス語で書かれていて、俗名はフランス語で「Vespertilion Abrame」、学名はラテン語で「Vespertilio aburamus」である。Vespertilioはラテン語で蝙蝠、aburamusは和語の発音で「アブラ」である。したがって、俗名も学名もその意味は和語で「アブラコウモリ」である。名前と生態に関する記述部分を転載すると次のとおりである。[On la trouvedans les environs de Nagasaki, on elle se cache sous les toitures, dans lesmagasine et les vieux edifices. Son nom japonais est Abramusi (insecte dulard).和訳すると:本種は長崎付近で見ることが出来る。古い建物や倉庫の中、屋根裏に隠れている。日本名は「アブラムシ」である]と。 波江元吉氏(1889年,動物学雑誌)は「アブラムシ」を長崎地方の方言と述べている。しかし、Temminckらの記載には、方言という記述はない。ただ、本種の日本名は「Abramusi」(insecte du lard「脂虫(蟲)」)であるいう記述だけである。−この記述から「アブラムシ」が蝙蝠類の一種、特に住家棲種を指す語でVit(虫+廉)hi-ren、俗云油蟲」の項目がある。ここでいう油蟲は「ゴキブリ、五器囓go-ki-(ka)buri(飯器を囓り損なうの義)」の異称で、語源は匂いも色も赤褐色で油に似ている故とある。そして、その解説に本草綱目(前出)に次のようにいう。「人家の壁間・・・多くいる。・・・・燈火の光を喜ぶ」とある。そこで、生態の類似性から、本来は虫の名であった油蟲という呼称が蝙蝠の名に転用された可能性は考えられないであろうか。また、諸橋轍次氏の「大漢和辞典」の、「蜚」の項にこの一字で「アブラムシ」と発音することが記載されており、語義解説では「蜚」は「飛」に通ずとある。さらに「蟲」の項には「蟲」は「動物の総称」ともある。とすれば、アブラムシを「蜚蟲」と書き「飛ぶ動物」という義に解釈され、蝙蝠を指す呼称になったとも私には思えるのだが。
<掲載する写真・図絵>
1:シ−ボルト、テミンク、シュレ−ゲルの人物写真
2:李時珍の法
3:「和漢三才図会」の加波保利(カハホリ)の部分の記述と絵
2,<コウモリ類Chiropteraの概説>
コウモリ類は体部と四肢と尾(尾を欠く種もある)の間に、皮膚が拡張した膜(飛膜という)があり(飛膜には太い血管と神経が分布している)、これを翼として随意的に可動させて、巧みに飛翔する哺乳類の一群で、分類学的には翼手目である。翼手目の学名はChiropteraといい、cheriはギリシャ語で(手)、Pteronは(翼)の義で、両語の合成語である。近年は術語として「翼手目」という語は用いず「コウモリ目」といっている。コウモリ類は熱帯から亜寒帯まで全世界に約970種生息しており、日本には35種が現棲し、北海道ではこのうち18種の生息が確認されている(2006年時点)。
コウモリ類は後肢(後足)の前後の向きが他の哺乳類と逆で、膝(膝蓋骨)が身体の背方向を、足底が身体の前方を向いた造りになっている。これは後肢間の尾膜が方向舵やブレ−キとして機能する場合、骨格も飛翔に便なるように、飛膜の主骨格として、中手骨と指骨が大きく伸びている他、体重の軽減上、尺骨と腓骨が細小化している。また多くの種で踵の後内側から踵骨突起が尾膜(腿間膜)の後端に伸び、飛翔時の風圧から尾膜を支える構造になっている。また、コウモリ類の陰茎には陰茎骨がある。コウモリ類は糞尿の排泄時や交尾や出産時以外はほとんど頭を下にして、足の5趾の鉤爪で垂れ下がっており、頭部に血液が鬱滞しないか気になるが、それに関する解剖生理的な記述は見あたらない。
しかし、静脈管の血液は、弁と弁の間で血管が蠕動的に収縮し送血されるとの記述もあり、動脈管は字義のとおり、心臓の収縮に伴い、心臓から送出された血液を、血管壁を伸縮させながら、身体の隅々にまで血液を届ける脈打つ動く管であり、この道静脈管の統一性で、全身の血液の分布が制御されている可能性もあろう。翼手目はその起源・形態・生態の違いから二亜目に分類されている。熱帯や亜熱帯など暖地に棲み、大きな眼と通常は大きな身体を持ち、日中や薄暮に目視飛行をし(一部の種はMegachiroptera、megaはギリシャ語で「大きい」義)と、眼が小さく、身体も比較的小型で、主に食虫性で(種により果実や蜜や花粉、脊椎動物、血液を食する)、喉頭にある声帯から超音波を発し、その反射音で虫の位置を捕捉し採食したり、障害物を避けて飛行する(術語で「反響定位」といい、位置を定めること、英語でecholocationという)小翼手亜目(Microchiroptera、microはギリシャ語で「小さい」義)である。翼手目の四肢は5指(手のゆび)5趾(足のゆび)で、足は5趾とも鉤爪がある(爪は末節骨に被さっている)。5趾を形成している骨(趾骨)の数は、第1趾(オヤユビ)は全種が2個(基節骨「第1趾骨」と末節骨「第3趾骨」)であるが、第2〜5趾の各趾は、カグラコウモリ科は2個だが(今泉、1970)、他種は総て3個(基節骨「第1趾骨」、中節骨「第2趾骨」、末節骨「第3趾骨」)である。
指を形成している骨(指骨)の数は、大翼手亜目の第1指(拇)は2個(基節骨「第1指骨」と末節骨「第3指骨」)で、他の4指は各3骨(基節骨「第1指骨」、中節骨「第2指骨」、末節骨「第3指骨」)からなる。小翼手亜目は第1指(オヤユビ)と第2指(ヒトサシユビ)が2個(基節骨と末節骨)、他の3指はいずれも3個(基節骨、中節骨、末節骨)の骨から成っている。指の爪は小翼手亜目は第1指だけにあるが、大翼手亜目は第1指と第2指の2本の指にある(爪は末節骨に被さっている)。小翼手亜目の種は日中も近くのものを認識できる視力を持っているが、夜に光の乏しい暗い環境下で、目を使わずに飛翔昆虫を補食する生態へと移行する過程で、声帯を震動させて生じた超音波を鼻孔(キクガシラコウモリ科の種)や口腔(多くの小翼手亜目が該当する)から発し、餌となる虫や障害物から反射してきた音波を耳で受け、瞬時にそれを解析しその位置を特定し得る体制へと声帯と聴覚を発達させたもので、顔側部から外方に漏斗状に出た聴覚器官部を耳介という。
聴覚器官は聴覚と平衡覚(身体の位置、方向の知覚)を司る器官であるが、耳介は皮膚と軟骨と筋肉で構成され、耳介筋で随意的に種々の方向に動かせ、任意に集音することが出来る。発生学的にも機能的にも耳介の一部として、外耳孔に近い耳介基部の前位に耳珠Tragusが、後位に迎珠(対珠)Antitragusがあるが、耳珠の有無と耳珠がある場合のその形状と耳介と迎珠の規模は種により異なる。キクガシラコウモリ科Rhinolophidaeは耳珠を欠くが迎珠の規模は大きい。一般的にヒナコウモリ科Vespertilinoidaeの耳珠は規模が大きく明確であるが、私の北海道産種の知見では、迎珠の規模は小さく痕跡程度の種が多い。コウモリ類が発する音波は2型あって、周波数一定の音波を発射する「周波数一定型、CF型(constant frequency)」と周波数を変化させながら発射する「周波数変調型、FM型(frequency modulation)」である。20Hz(ヘルツ)[波長17m]から20KHz(キロヘルツ)[波長1.7cm]である。人の可聴音よりも低い音波を「超低周波音」、高い音波を「超音波」という。
周波数1 KHz = 1.000Hz である。犬の可聴音は 15Hz〜50KHz 、猫は60Hz〜65KHz 、コウモリ類が発する周波数は1KHz から160KHzだという。空気中の音速は常温で341m/sec. である。したがって、波長は空中の音速 341m/sec÷周波数 で計算できる。周波数20KHz = 波長が17mm、周波数50KHz = 波長6.8mm、周波数100KHz = 波長が3.4mmである。換言すれば、周波数20KHz の音波では、単純にいえば長さが17mm以上の物の存在が、また周波数50KHzの音波では長さが6.8mm以上の物の存在が感知し得るということで、周波数が高い音波を発射する種ほど、小型の昆虫を捕食する機会が多いということである。こうもり類の音波での物に対する識別能力は極めて高く、カスミ網の細い糸目の存在を音波で感知し、網の直前で踵を返し、逃げ去ることも稀ではない。こうもり類が発する音波と餌の大きさ種、身体が大型の部類のヤマコウモリN. lasiopterus(体重26-61g)は15-30KHz(波長は22-11mm)の音波を、キクガシラコウモリR. ferrum-equinum(17-35g)は65-70kHz(波長5-4.8mm)の音波を発し、クスサンやスズメガなど大形の鱗翅類(蛾)や鞘翅類(甲虫)のような硬い昆虫を捕食し、小型のコキクガシラコウモリR. cornutus(4.5-9g)は100-105KHz(3.4-3.2mm)、モモジロコウモリM. macrodactylus(6-11g)は30-70KHz(11-4.8mm)の音波を発し、小型の双翅類(蚊、ブユ、ユスリカ)や蛾などの柔らかい昆虫を食べ、捕食昆虫の種類も季節的に相当変化し、活動時期の一日の採食量はどの種でも体重の約3分の1だという]。 以下の食生態は今泉吉典博士(日本哺乳類図説1970)らの知見である。「キクガシラコウモリは餌に蛾やコフキコガネ・マグソコガネ・ゴミムシなどかなり大形の甲虫・ハエ・ハチトビケラなどで甲虫を主食とする。また本種の棲む洞窟内に体長4cm以上もあるカブトムシの♂の食いかけが発見された(寺島 1958)。
他の多くのコウモリのように腿間膜を腹のPoulton 1929)。ドーベントンコウモリの食物はほとんどカゲロウ目モンカゲロウ科Ephemeridaeに限られる。それらを飛びながら捕らえたり食べたりする。しかし、大きなガやトンボも食べる。ホオヒゲコウモリの食物はハエ・ブヨなどの小昆虫やクモで、飛んでいるのを捕らえることをせず、葉や枝にとまっているのを捕らえる」。私は北海道産コウモリ類の活動期における活動を阻害する気象条件として、以下の要因を得ている。気温が7℃以下ではまず活動しない。気温が8℃以上でも風速が速く、体感温度が7℃以下になった状態では活動しない。弱い小雨ならば活動するが、降雨が強いと活動しない。ただし、雨が一時的にでもやむと、止んでいる間活動する。日中高温(29℃以上)で、夜間も引き続き暑いと、夜の活動は不活発である。したがって、気温が7℃以下の時や強雨に、調査しても無益である。[冬に冬眠するコウモリ類は温帯産食虫性コウモリ、3-15℃ある場所で冬眠する(2-10℃を適温とする見解もある「J.D.Altringham著Bats、1996」)。活動期に体温(直腸温)が37℃(呼吸数500回/分、心拍数1,200回/分)のコウモリ類は、活動期の休息時には体温が24℃(呼吸数50回/分、心拍数400回/分)となり、冬眠時にはさらに体温が、外温よりも約1℃高い状態の6.5℃〜12.5℃に(呼吸数1回以下/分、心拍数20〜30回/分)なる(以上は内田照章博士知見)]。私は北海道でのコウモリ類の越冬種はコテングコウモリ、キクガシラコウモリ、コキクガシラコウモリ、ウサギコウモリの4種しか確認していないが、北海道で活動期に普通に見られる種は気温が7℃以下になる晩秋から翌年の春まで、道内のそれぞれの適所で冬眠しているものであろう。コウモリ類は恒温動物(体温が外気温に影響されずに、体温を一定に保持できる動物をいう)では=heterothermy(ギリシャ語でheteroは「異なった」thermos「熱」の義)」といい、この機能を有する動物を異温動物という。また体温を低下させていて、正常な刺激に対して反応しない状態をト−パtorpor(torpid condition、不活動状態・鈍麻状態・遅鈍状態などという)という。[(以下内田照章博士による)コウモリ類は気温が下がり涼しくなる晩夏から初秋にかけて、外温よりも約1℃高い程度まで体温を下げて、エネルギ−の消費をおさえ、少ない採餌量の中から、なお余分のエネルギ−を白色脂肪に合成し(体重の20〜30%)皮下に貯える。このように、コウモリ類は活動期を除き、休息時と冬眠期に代謝率を低下させることによって、代謝コストを生涯にわたって引き下げていて、これがコウモリ類の長命な主な理由となってる。
日本産の寿命はコキクガシラコウモリで、26年と14年の記録があり、モモジロコウモリとM. nattereriで、それぞれ13年と12年の記録がある。しかし、アブラコウモリP.abramusは短命らしく、特に雄は1年以内に死亡する個体が多く、最も長くて3年、雌の場合は約5年の寿命である。冬眠中、例えば、コキクガシラコウモリは約24時間に1回のリズムで目覚め、その時に平均25分ほど活動する。キクガシラコウモリは、眠りが浅い時は約24時間のリズムで目覚め、平均54分間活動し、深い眠りの時には覚醒のリズムはほぼ3日に1度と間延びし、活動は平均14分間と短縮する。また、アブラコウモリは16日のリズムで目覚める。コウモリ類はこの目覚めの間に、排糞尿と摂水、さらには採食まで行うものもいて、コキクガシラコウモリはこのような時、寒冷時に成虫になり群れて飛翔するガガンボダマシ属の昆虫や洞内にいるカマドウマを捕って食べる。このコウモリ類に見られる冬眠中の覚醒は、体内リズムと生理的な要求によって引き起こされているらしい。冬眠中の体温維持と冬眠からの覚醒には、左右の肩甲骨間(背中)にある褐色脂肪組織(冬眠腺)が大きな役割を果たしており、この細胞には、良く発達した、15℃も高くなっており、コウモリが覚醒するまでに要する時間は、約30分である。温帯産コウモリ類の交尾期は10月中・下旬であるが、出産期は餌となる昆虫が最も多く、子を育てるのに最も適した翌年の6月下旬から7月上旬である。交尾から出産までの長期化は特異な繁殖型によるもので、受精卵(胚盤胞)の子宮への着床の遅れ(「遅延着床」という。ユビナガコウモリM. fuliginosusが該当)、秋の交尾によって雌の生殖道内に搬入された精子が、子宮あるいは卵管内に翌春の排卵時まで約半年もの長期にわたって貯蔵される型(「精子の貯蔵」、コキクガシラコウモリ、キクガシラコウモリ、モモジロコウモリ、アブラコウモリなど温帯産コウモリのほとんどが該当する)があるためである。 多くのコウモリ類は年1産2子以上のものは、アブラコウモリ(1-4子)、ヤマコウモリ(1-2子)、コテングコウモリM. aurata(2-3子)、テングコウモリ(1-3子)である。内田照章博士のアブラコウモリの観察では、母獣はみな、朝から夕方にかけて子を生み、夜間に分娩した母獣はいなかった。
「母獣は陣痛で腹が痛み始めでもしたのか、頭を上にして向きを変え、前肢の親指でぶら下がって、ときどき苦しそうに腹をふるわせながら、大きな息をしていた。子が生まれる時の胎位は2通りで、頭から生まれ出るものを「頭位」、その逆を「骨盤位」というが、母獣9頭が生んだ新生子22頭の胎位は骨盤位が14例、頭位が8例で、一般哺乳類では逆子である骨盤位が、約64%を占めていた。単胎の場合は子宮内の胎児は常に横向き(横位)になっているが、陣痛と共に90度回転して骨盤位をとるようである。 胎児の後足は非常に良く発達しており、骨盤位で生まれてくる子は、後足で母獣の体をつかみ踏んばって、一刻も早く頭部まで出てしまいたいと急いでいるように見えた。コウモリ類(後産)の排出を終えるまでで、実際には、2子ないし4子を分娩した4例で4.5から5.0時間であった。ほぼ5分かかって第1子のお産を終えかけると、母獣は尾膜を内側に折り曲げてポケットを作り、子をこの中に収納すると同時に、その子の体全体をなめまわす。子は体を活発に動かし、親指と後足の爪で抱きつきながら、口は乳首(乳頭)を求めて母体を探り、母獣は口で押したり引いたり愛撫しながら、子を乳頭に導く。 第1子のお産完了後、5分から10分あとに、第2子のお産が始まる。産後子宮内に残っていた胎盤が膣口に現れ始めると、母獣はそれに口を当て、あたかも引き出すかのように上手に口の中に収めて、おいしそうに食べ、母コウモリはさらに、へその緒まで食べつくし、出産の全過程が終わる。母獣は採餌に出る夕刻と早朝の2回、子を自分の体からはずし、巣に残して出かける。アブラコウモリの子の巣立ちは約1ヵ月齢である。ヒナコウモリ類では、単胎性と多胎性を問わず、乳頭数は原則として1対の乳頭のほかに、下腹部に乳が出ない副乳頭を1対持っている。乳子は胸部乳頭から乳を飲む時のほかは、この副乳頭を口にくわえて、母獣とは反対の方向、つまり頭を上に向けている。ほかのコウモリ類と同様に母獣は普通、乳子を連れて出洞することはない。しかし、洞内で乳子の場所を移す時は、母獣は子を胸につけて運び、また急に危険を感じた時などにも、子を抱いたまま飛び去ることがある。このような時、特に副乳頭は子が母コウモリに強くくいつき、しがみつくのに役立つ。
この点キクガシラコウモリの仲間は、副乳頭を持たないヒナコウモリの仲間と非常に異なっている。生まれた直後の子は、丸裸でピンク色をしている。母コウモリは採餌に出るとき、赤ん坊コウモリを洞内の暖かい、一定の場所に連れて行ってそこに残す。母獣は出巣中もしばしば赤子の所に戻り、乳を与える。この時期を「新生子期」という。生後約1週間後に、母獣は自分たちの群から子だけを分離させ、子は子で群を作る。このころ、(このこの時期を「群形成期」という。生後2週間後に子達は羽ばたき練習を始める。このころになると、目は完全に開き、母親の毛よりも濃い暗褐色の毛が生え揃い、子達は岩の天井にぶら下がって時々頭をもたげ、あたかも周囲を精査してでもいるかのような様子を見せる「羽ばたき・開眼期」という。生後22日ごろには、子はどうやら5ないし6mの距離を飛べるようになる。このころになってもまだ、母獣たちは授乳に訪れるが、その回数は次第に少なくなる「飛翔可能期」。その後、生後45日で幼獣は自立できるようになり、そのころ母獣も出産・哺育洞を去り、幼獣だけが群れて残っている。そしてやがて幼獣達もも順次この洞穴を後にする。この時期が自立生活期である。子は以上のような発育過程を辿る。コキクガシラコウモリやキクガシラコウモリは、一部は1年4ヵ月、多くは2年4ヵ月で性成熟に達し、満2年あるいは満3年目に初産する。この1年4ヵ月での性成熟、満2年での初産というのは、7月に生まれた雌雄のコウモリは、翌年の10月に交尾2年後の7月である。これに対して、より高等なヒナコウモリ科のものには、イエコウモリやヤマコウモリのように4ヵ月で性成熟に達し、満1年目に初産するものと、モモジロコウモリやウサギコウモリのように1年4ヵ月で性成熟し、満2年目に初産するもの、との2通りがある。コウモリ達は同種の間だけでなく、しばしば異種・異属の混棲群塊を形成する。洞穴性コウモリ類の場合、一般に冬眠期、活動期、交尾期および出産・哺育期のねぐらを季節的に使い分けながら幾つかの洞穴を移動する。 秋吉台で調べられたコウモリ類の移動圏は、コキクガシラコウモリで半径約20km以内、キクガシラコウモリとモモジロコウモリで約30km以内、ユビナガコウモリ(北海道には生息していない)で40ないし45kmである。また大瀬洞のユビナガコウモリは、半径約70kmの移動圏を持っていた。ユビナガコウモリはヒナコウモリ科の中で、最も飛翔に適応した種だが、秋吉台から230kmも離れた地点で放逐した個体が秋吉台に帰巣した記録もある]。
1985年刊、147頁)」からの引用である。引用と写真の転載を快諾された博士に深謝する。