疑問だらけのヒグマ対策 画像版


 この文章は「北海道新聞野生生物基金モーリー(雑誌名)編集委員会」からの、次のような依頼文に答えて執筆したものです。

依頼文「行政や自然保護団体、研究者らのクマ対策の問題点を徹底的に指摘して頂き、長年の調査・研究で到達した対策を思う存分書いてもらいたい」

 
 疑問だらけのヒグマ対策
      −共存のために今すべきこと−
                 門崎允昭
 
 道は10年以上前からヒグマ管理手法を確立するためと称して、ヘリコプターでの生息実態調査やヒグマに電波発信器を装着して生態調査をしているのに、いまだ人身事故対策を含めて何1つ有効な共存策を打ち出していない。
 私はヒグマの研究を始めた1970年から、ヒグマとの共存には人畜と作物の被害防止が前提との立場から、被害の実態を調査しその防止策を探ってきた。その結果被害を最小限にし、人とヒグマが共存していく有効な方策を確立しえたと考えるので、それらを含めてヒグマ対策の現状の憂慮すべき点等を述べる。
 
 ヒグマは自然の元締め
 ヒグマはアイヌがカムイ(神)、山子(樵夫)が山親爺と畏敬したが、その成獣は威風堂々とし、見る者に畏怖と感動を与えずにおかない霊力がある偉大な獣である。ヒグマは時に里に出没もするが、根拠地はあくまで自然度の高い地であり、ヒグマを野生で残すことは、北海道固有の緊張感ある自然を一括して残し続けることにもなり、ヒグマは正に北海道の自然の元締め的獣である。 私の推計では明治以前の北海道には最多で約5500頭生息していたが(これは自然状態でこれ以上増え得ない頭数)、現在の生息地は(ヒグマが長期に続けて利用している地所)全道面積の約50%で、生息数は1900頭(出産前の12月)から2300頭(出産後の2月末頃)である。現在全道212市町村中、ヒグマの生息地や出没地を管内に擁しているのは160市町村である。しかし現在は既にヒグマと人の日常生活地は特殊地(生息地内の番屋など)を除き棲み分けが成立している。
 
 道のヒグマ報告書
 道が1990年から10年計画で進めてきた「ヒグマ調査の総括編(2000年3月北海道環境科学研究センター刊)」の「人身被害の事例分析」を見て私は唖然とした。
 彼らが分析に供したという37事例は、私の「道内で発生したヒグマによる人身事件の検証論文」から総て基本データーだけを引用し、それを彼らが信奉する「Bear Attacks」の著者Herreroがいう、「熊に襲われた場合には無抵抗がいい場合があるとか、熊に組み伏せられた場合には、致命傷をさけるために頭頸部を防御する姿勢がいい場合があるとか、山野での生ゴミの放置が人を襲う熊を生み出す原因になるとか」の愚説を検証もせず真に受け、それが北海道でも当てはまることを示すために用いていたのだ。
 しかもどう読み違えたのか「致命傷を避けるために頭頸部を防御する姿勢がいい」とすることを裏付ける北海道での事例で、私の論文から、頭頚部が致命傷となった事例として7例上げているが、それには軽傷であった2例も加えており、そのずさんさには驚いた。しかも道議会での山根泰子議員の「頭頸部を防御する姿勢が熊に襲われての致命傷を防ぐ対処法として真に道民に推奨しえる方法か」という質問に、自然環境課の松岡参事はこれを基に「道内での死亡事故の致命傷が頭頚部に多い」と答弁し、この対処法が正しいと受け取れる答弁をしているのだ。
 
 人身事件を検証しない道
 道は1990年から10年計画でヒグマ調査を進めてきたと前記報告書に明記しているが、その間の10年間に道内でヒグマによる人身事件が18件発生しているにも拘わらず、その1件も検証していない。検証していないから、自前の事故防止の適切な対処法を提起し得ないのも当然である。にもかかわらず、マスコミで「熊除けスプレーがいいとか、クマが襲ってきたら人は身をかがめて致命傷と成りやすい頚部と後頭部を両手で覆い無抵抗でいることがいい」などとコメントをしているが、無責任も甚だしい。また、熊事故にかこつけて「ヒグマによる人身事故を避けるための対処法を学ぶ体験ツアー」を有料で行っている者も出てきたがその商才と厚顔さには呆れるし、それを天下の道新が記事にし、その宣伝の一翼を担っている様は茶番である。
 
 熊対策パンフレット
 道の指導で、市町村役場の窓口には「あなたとヒグマの共存のために」という啓蒙パンフレットを置いているが、それには「クマに襲いかかられたら、首の後ろを手で覆い、地面に伏して死んだふりをしてください。山に入る人は万一に備えて練習して下さい(原文)」と図入りで出ている。熊に襲い掛かられて意識がある状態でじっと静止し我慢し得る人がこの世に居るだろうか。山根議員への松岡参事の答弁ではこの対処法は「道内外の専門家が検討して作成したもの」という。人身事故を真摯に検証していれば、これがいかに非現実的で馬鹿げた方法であるか分かるはずである。このこと1つ見ても今行政に関与している熊研究者なるものが、いかに無能でいい加減であるか分かろう。
 昨年道は熊調査などに1950万円使い、今年もほぼ同額が計上されているが、10年も血税で熊を研究していてこんな低級な啓蒙しかできない道のヒグマ研究などは税の浪費である。早急に今までの調査研究の見直しを図り、人にも熊にも有益になる方策を見出す地に着いた調査へと転換すべきである。
 
 人身事件の実態
 私は1970年からヒグマによる人身事故の検証を始めたが、2001年9月までの32年間にヒグマによる人身事故は63件だが、この内の5件は熊が人に手を触れておらず、熊を見て人が逃げようとして転び怪我をしたもので、これは自損事故。熊事件から削除すべきもの。したがって、この32年間の人身事故は58件である。このうち猟師の撃ち損じによる事故は22件。これは反撃されない撃ち方と追跡で防止し得る。
 猟師以外の一般人の事故は36件である。原因は3大別される。1:人を食うために襲った事件9件、2:戯れいらだちで襲った事件4件、3:排除するために襲った事件23件である。3の排除はさらに次の3つに大別される。3−1:遭遇11件、3−2:越冬穴の確保(冬ごもり穴に足を踏み入れて襲われたもの)5件、3−3子の保護、食べ物の入手、土地の確保のため7件である。
 鳴物を鳴らしていれば襲われなかったと推察されるのは、遭遇の11件で、他の25件は音を立てようが立てまいが、熊が襲ってきた事件である。だから音を立てていれば熊に襲われないというのも誤りである。
 一般人を襲った熊の内訳は、1:子を連れた母熊によるもの10件、2:2歳ないし3歳の単独熊によるもの14件、3:4歳の単独熊によるもの2件(同一個体である)、4:多分2ないし3歳の単独熊と推定されるもの9件。5:8歳の単独熊(今年5月の定山渓の事件)1件である。加害熊はほとんどが母熊か若熊で、単独の成獣は非常に希である。
 死亡事故は12件15名で、このうち武器を確実に携帯していた者は1件1名である。この人は柄の長い(5尺)鉈鎌で熊に反撃し、熊に抱きつかれて引っ掻かれ失血死した。他の被害者は皆素手で対抗し殺されている。 生還者は24件25名で、いずれも鉈、手斧、包丁、手鎌、剪定鋸、鉄棒、スコップ、拾った石、素手だがもがいていて足で蹴るなど、積極的に熊に反撃し助かっている。これで熊に襲われての生還に、鉈など武器での反撃がいかに大事かお分かりいただけよう。過去32年間に「熊に襲われて死んだふりをして生還した事例」も「襲ってきた熊を熊除けスプレーで撃退した事例」も北海道では一例もないことも知って欲しい。
 一般人を襲う熊の存在率は、熊の生息数を2000頭とし、最近32年間に一般人が熊に襲われた年平均件数は約1件であるから、それは約2000分の1頭である。これで、人を襲う熊はいかに少ないかお分かりいただけたと思う。
 熊の生息出没地に入る場合には自己責任で「生還するするための準備」が必要である。鉈は日本では合法的に誰もが持ち得る「熊への反撃に有効な武器」である。鉈の携帯まで踏み込まなければ、熊に襲われての死亡事故はなくせないと思う。鉈で反撃したら、逆に「熊を興奮させ、被害を大きくする」ではないかという反論もあるが、それを裏付ける事例はない。それよりも鉈で反撃していれば死なずに助かったと推察される事例がはるかに多い。斜里新聞 (平成8年5月15日号)に、町職員が私と犬飼共著の「ヒグマ」について「鉈で戦った方がよいとか、陰部を露出すれば(これはアイヌの伝承)クマは逃げるなど、返って危険な行為やバカげた話が載った本が今でも堂々と売られているのが、わが日本国なのです(原文)」と己の無知を臆面もなく披瀝している。
 
 クマ用心
 私がヒグマに間近で出会った体験は、1:足寄で新生子のいるクマ穴を覗きに行き、中を覗いた途端母熊に約60cmの距離から吠えられたこと、2:大雪山で単独熊と7〜8mの距離で遭遇したこと、3:カムチャッカでヒグマを30m程離れた位置から撮影中に、熊が突然7〜8mまで私に突進して来たことなどである。
 私が実行し、他人にも奨める熊用心は次のようなもの。1:必ず鉈を携帯する(武器として実用的な物であること)。2:ラジオなど常時音の出るものは、熊の出現など辺りの異常が感知し難いのでやめた方がよい。カタツムリ型の小型の呼子を持ち、時々鳴らすか、声を出す方がよい。3:辺りを充分注視しながら進む。見通せる範囲はもとより、その先の死角部分は、特に歩みを遅めて、注視すること。4:万が一熊に出会ったら(20m以上距離がある場合)、走らないで、熊の様子を窺いながら、熊から離れることだ。距離が10数mないし数mしかない場合は、その場に止まりながら、熊に話しかけること(最初は普通の音声で、それからは大声で)。そして熊が立ち去るのを待つ。 自分も少しずつその場から離れてみる(熊の進路を妨害している場合もあるので)。
「熊が襲ってきた場合の対応」は私は未経験だが、過去の事例からいえることは、死にものぐるいで鉈で熊の身体のどこでもよいから叩くことだ。これ以外に「有効な生還策」はないと思う。「鼻先を叩け」という者がいるが、うまく叩けるものではない。熊の痛覚は全身にあるからどこを叩いてもいい。事例から、人の反撃で熊が痛いと感じれば、熊も怯み人への攻撃を止め逃げるものだ。
 
 糞や足跡で大騒ぎするな
 北海道には「熊が居て当たり前」であるから、熊の生息地に通じる林地やその側の畑地や牧地に、熊の糞や足跡があったぐらいで騒ぐべきではない。同様にこれだけ道路網が展開してしまうと、ヒグマの道路横断は必然的なもので、ヒグマが道路を横断しただけで大騒ぎし、そのクマを執拗に追跡し殺すべきではない。人を見て逃げるクマは決して人を襲ったりはしない。
 札幌の西野でもこの9月に宅地傍の林地に熊が出て、大騒ぎしていたが、私が現地を見た結果、その熊は母から別れてまもない1歳半の子熊で、自分の新たな行動圏を確立するために林地伝いに徘徊していて、たまたま端まで来てしまったもので、林地際では人と遭遇する時間帯を避けて行動していることから、人畜無害の個体であるのに、その見極めができないために大騒ぎしている様は情けない。 熊の出没には必ず理由がある。それを見極めて合理的な対応をすべきである。
 
 多様な場所の熊対策
 公園内の熊対策では、基本的に公園での熊の出没を黙認するか、または園内から熊を完全に排除するかで対応が違う。同様に、作物栽培地での熊対策も、多少の被害を黙認するか、被害を完全に防止するかで対応が違う。前者の公園の場合は、個々の公園利用者が熊の被害の防止策を講じつつ自己責任で利用する。作物の場合は、個々の栽培者が熊の出没地で営農していることを、自覚し多少の被害は黙認する。後者の場合の園内への熊の侵入や作物の被害を防ぐ実用的な対策は、熊が侵入する可能性のある部分を電気柵(電源は太陽電池)で遮る。この場合柵下の地面を幅2mほど舗装して熊が地面を掘り下げて柵下を潜り出入りすることを防ぐ必要があるし、こうすることで、柵の漏電も防止できる。家畜や養蜂の被害も電気柵で防止できる。知床で話題になる番屋への熊の侵入も電気柵や逆さ釘で防止できる。
 
 人家付近の熊対策
 人を見てまもなく逃げる熊や人と遭遇しない夜だけ出没する熊は人を襲うことはないから、捜索してまで殺すべきではない。心配ならば出没地に石灰粉を撒いておき、足跡からその熊の動向を監視し被害を起こす個体か否かを見極めることだ。
 熊の捕獲に箱罠やくくり罠を使うが、被害が発生した人家付近に罠を置くのは人に危険だからと、被害現場から離れた位置に置き、多量の誘餌を仕掛けるために、人家付近に出没していた熊とは別の罪なき個体を捕殺している場合が非常に多い。罠は被害地所に限定して置くべきで、それが出来なければ使うべきではない。
 
 リンチ・仕置き
 ヒグマが人家付近に再出現するのを防ぐために熊を罠で捕え「人の恐ろしさを悟らせる」として、人の目に入れば「流水で15分間以上洗眼し医療処置するように注記されている「熊除けスプレー」を熊の顔面に噴射し「熊には無害」と豪語する傲慢さは生物倫理の片鱗もない。リンチの有効性に広島県の例を挙げているが、リンチを加えて放逐した熊と加えないで放した熊との間に再出現で明確な差異があるとする比較対照結果はどこにもない。一昨年道東の羅臼町でも同じ行為をされた熊が再度出没し結局殺獲した。この根拠のない「リンチ」を「先駆的熊対策」というに至ってはおぞましい限りである。
 
 生息域管理法
 人と熊は互いに棲み分けで共存すべきで、それには熊に生息地を保証し頭数はその中で自然の摂理にまかせる「生息域管理法」で行うべきである。その生息地から越境し、人畜作物に明らかに被害を起こす可能性が明白な個体は割り切って殺す。これを実施すると殺された熊を補充するように奥山から次々と熊が里に近づき、これをまた殺すことで究極には熊を絶滅させるではないかという意見もある。しかし奥山に熊の好む餌樹(ドングリ類、コクワ、ヤマブドウなど)を残し、樹を伐採し過ぎて山を明るくし過ぎなければ多くの熊は里に近づかないし、例え不用意に近づいてもまもなく立ち去るものである。経験不足の若熊の中には里に関心を持ち居座り、度々出没するものも希にいるが、この種の個体も里に出没すれば「銃器で脅かされることを自ずと学習し、里に近づかないか、近づいても人と遭遇するような時間帯には里に出没しなくなる」。このことは春熊駆除を実施していた頃の状況を思い起こせば分かる。以前の春熊駆除が熊との共存という点で問題だったのは、被害の防止には熊を減らす以外ないとの前提で、何も害をしていない熊をも探し求めて無制限に奥山まで探索し、熊を発見するとそれをどこまでも追い殺したことにある。もしこれを続ければその地域の熊を絶滅させることは明白で、前者とは施策が根本的に異なる。
 行政は今地域毎の適正頭数を決め、その超過分を間引くために、奥山まで熊を探索、実際は被害をもたらしていない個体をも殺す「頭数管理法」で、熊を管理しようとしているが、これは以前の「春熊駆除」同様人間のおごりで決して許される策ではない。
 道は次年度から渡島半島部でクマ管理法を策出するために13年前に廃止した「春熊駆除」を含む試行や調査を新たに行うというが、これは時計の針を春熊駆除を開始した35年前に戻す愚策である。人と熊の益になる共存策の早急な実施を行政に望みたい。
 

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