Four incidents involving human casualties caused by Brown Bears in Hokkaido during 2001. Masaaki Kadosaki ( Hokkaido Wildlife Laboratory,3-8 22Atsubetsuminami, 004-0022, Japan ).J.Jpn.Wildl.Res.Soc.28: - (2002).
The first and third incidents occurred while the victims were collecting edible wild plants. The other incidents occurred when the victims were hunting bear. In the first incident, a 42 year old woman was killed instantly by the bear that was protecting its young. In the third incident, the lone eight year old male bear dragged the 53 year old man about ninety meters to a comfortable spot where the bear then proceeded to eat the victim’s muscle tissue. These facts suggest that in the third case, the purpose of the bear attack was to eat the man. In the second and fourth incidents, the bear retaliated against being shot by the hunter. In the second incident a 70 year old man was left in a critical condition. In the fourth incident, an 81 year old man was killed instantly. The causes of bear attacks against people can be divided into three general categorys; to eat people, to repel people and to play with people. Three of the incidents are in the category of repelling people, the other incident is in the category of attacking to eat.
key words : Ursus arctos , bear attacks
緒 言
筆者は1970年以来北海道で発生したヒグマUrsus arctos による人身事故を逐一調査検証し、人身事故の予防と事故に巻き込まれた場合の生還策を提起してきた(門崎・犬飼、2000;門崎、2001)。しかしその策を講じないためにいまだ事故が絶えない。今般は2001年度に北海道で発生した人身事故4件についてその顛末を報告する。
調査結果と考察
事件1,「事件No. 61(この番号は1970年以降に発生したヒグマによる人身事故の一連番号である)」、本件は山菜(アイヌネギ)を採りに入山した女性が母熊に襲われて殺された事件である。
「事件の経過」
2001年4月18日釧路管内白糠町東1北2、山菜加工会社社員北村公子さん(42)は、長男(19)と同僚男性(46)の3人で、家業の山菜加工業で使うアイヌネギを白糠町御札部の「オサッペ沢支流川」沿いの道をオサッペ沢出会いから約1.1km進んだ(上流方向へ)沢沿いで、他の2人から50mほど離れた地所で採っていた午前11時ごろ、母熊に襲われた。公子さんの悲鳴を聞いて2人が駆け付けると公子さんが倒れ、そばに熊がいた。このため、2人は為すすべなく、救助を求めにその場を離れた。11時20分頃に事件の発生を受けた警察が猟師などと共に12時30分頃現場付近に到着し探索した結果、ほどなく公子さんが襲われた場所である支流川の岸辺の南斜面の上方約23m地点に公子さんの遺体を発見した。熊はすでに現場から立ち去り、探索したが見つけることができず捕殺し得なかった。
<刃物の携帯の有無> 携帯していない。
「受傷状況」
<発見時の体位> 仰向けに倒れ、頭が東向き、足が西向きである。
<着衣> 赤色ヤッケ上下を着用(乱れはない)。右手に軍手着用、左手は手袋なし。靴は熊に襲われた時に脱げて履いていない(警察の調査資料には履き物の種類の記載はない)。両足とも靴下は履いていて、脛は見えない。
<頭部>1 頭部から前額上端にかけて2本(間隔6cm)の長さ約5cm創傷。
<顔面>1 口唇左端に顎骨に達する1本の長さ6cmの創傷、2 右側顔面に1本、長さ4cmの創傷(口唇端から4.5cmの位置迄)。
<頚部>1 右耳介下の頚部は1本、長さ3cmの体軸方向の創傷。
<背部>1 右側腹外側部に長さ5、4、4cmの3本の創傷。
<胸部>1 右前胸の乳房の上端(5cmと3.5cmの一続き(1本))の創傷。
<腹部>1 右腹部(臍の上)に3条(16、29、24cm)の創傷(臍上部から体側迄の傷である)。※背部1と腹部1の傷は同一の連続する傷の可能性が強い。2 左腹部(臍の上)に右腹部の3条の傷の更に上部に1本(10cm)の創傷がある。死因は外傷性ショック死である。
「加害熊と加害原因」
加害熊は1歳2ヶ月齢(雪上の足跡の横幅が6cm以上あった)の子熊(頭数は不明)を連れた母熊である(猟友会員、深瀬友慈氏談)。襲った原因は熊が人に対して許容し得る至近距離(30mから10数mの範囲)を超えて、不覚に接近してきた人間を母熊は子を保護するために、その場から人を排除するために先制攻撃したものである。事件後猟師がその熊を探索したが熊は獲れなかった。受傷状況から熊の襲い方を分析すると、被害者は多分10数m以内の至近距離で熊と遭遇した瞬間に熊に襲われたもので、熊は立ち上がった状態で被害者を真正面から手の爪で瞬間的に一掻き、被害者の前頭額部を攻撃し(引っ掻いている)、被害者が反射的に頭部を振ったことで、さらに続く爪の攻撃で左右顔面と頸部、右前胸が引っ掻かれ、そのはずみで被害者が仰向けに地面に倒れた後、熊のさらなる一掻攻撃で腹部を引っ掻かれたもので、この顛末はほんの数秒間のことであろう。いずれにしても、被害者の受傷状況から、熊の攻撃は瞬間的なもので執拗でないことから、熊が被害者を襲った原因は、不意の人の接近に母熊が子熊を連れて身を潜めようとしたが、子がいうことをきかずぐずぐずしているうちに被害者が前記至近距離以内に接近したために襲ったものと解される。本件の場合、遭遇を避ける鳴物を携帯し鳴らしていれば遭遇は避け得たであろうし、鉈を携帯していて襲われた時にそれで積極的に熊に反撃していれば生還し得たはずである。
事件2,「事件No. 62」
本件は単独で熊撃ちに行った猟師が銃撃失敗から母熊に逆襲され、重傷を負いつも生還した事件である。報道では、山菜採りに行き、熊に遭遇し、襲われたことになっているが、実際は「熊撃ち」に出かけたのが真実だという。これは本人の証言であり、下記の記載も本人からの聞き取りである。
「事件の経過」
2001年4月30日、留萌管内遠別町幸和の、山本展男さん(70歳、同町町議)が、遠別市街地から遠別川沿いに通じる道道を約30km入った「正修」に熊撃ちに妻と二人で朝6時30分頃家を出た。遠別川と「又木沢」の合流の手前約700m(距離)地点に車を留め、妻を車に残し、山本さんは一人で、「又木沢の林道」に熊を探しに入った。林道を300mほど入った地点に、明らかに母子熊の足跡があった。母熊の足跡の横幅は12〜13cmであった。そこで、この足跡を辿り、熊を探索した。結局、又木沢から道道を遠別市街地寄りに約600m戻った地点(三角点のある標高469.9mの北東斜面下)で真新しいこの母子熊の足跡を見つけた。付近に熊がまだいるものと思われたので、探索していたら、急に目前に熊がいた。時刻は10時30分頃であった。熊との距離は目前1〜2mの感じであった。実弾4発入りのライフルの自動銃で、瞬間的に4発撃ったと同時に母熊が立ち上がり襲い掛かってきた。弾は命中しなかった。母熊だけが攻撃してきた。子熊は2頭で体の大きさから(頭胴長1mはあった)明らかに1歳3ヶ月齢(明け2歳)で、座り込んで母熊の攻撃を静視していた。母熊は立ち上がり、山本さんの正面から襲い掛かり、前頭部を歯でガリガリ咬んだ。銃で熊を叩いたが熊はびくともしなかった。夢中で熊の顎を銃でどんずいたら熊が咬むのを止め、離れたが、山本さんは前のめりに転んだ。すると熊は転んでいる山本さんの左足の膝を長靴の上から咬んで山本さんを振り回した。一瞬気を失ったが(気絶)、雪上に倒れていて顔面に触れている雪の冷たさで、気づいたら、熊たちはその場にいなかった。起きあがり、携帯していた無線で、車にいる妻に「熊にやられた」と知らせ、現場付近まで車で迎えにきてもらった。一瞬の出来事であった。痛かったが我慢して、街に戻った。
「受傷状況」
前頭部骨折(脳は無傷)。左膝複雑骨折。
「加害熊と加害原因」
加害熊は1歳3ヶ月齢の子熊2頭を連れた母熊である。
襲った原因は人をその場から「排除」するためである。要するに、許容し得る至近距離(30mから10数mの範囲)を超えて執拗に接近してきた人間を母熊は子を保護するために、その場から人を排除するために先制攻撃したものである。被害者が生還し得たのは銃身で積極的に熊に反撃したからである。
事件3,「事件No. 63」
本件は山菜(アイヌネギ)を採りに入山した男性が熊に襲われて殺され筋部の一部を食われた事件である。
「事件の経過」
2001年5月6日午前7時頃、札幌市豊平区平岸2-5、会社員工藤憲三さん(53歳)は単独で、定山渓の豊羽鉱山付近にアイヌネギを採りに行くと自宅を出た。夕刻を過ぎても帰宅しないので、家族が探しに行ったところ、19時頃「山鳥峰林道」に入る白井川の「山鳥橋」に工藤さんが乗って行った車を発見、本人がいないので南消防署に届け出た。翌7日警察署員・消防署員・猟師が捜索に入り、午前10時頃林班界の沢(2483林班と2484林班の境界)の東側(小林班「と」の下部、標高約530m付近)で熊一頭を発見射殺し、その近くで工藤さんの遺体を発見収容した。
筆者は5月11日に、7日の捜索時に現場に行き熊の殺獲や遺体の収容に関与された猟友会の田辺連氏(56歳)「札幌市東区北49条5丁目1-8」と坪山清原氏(61歳)「西区発寒9条11丁目8-39」の案内で現場を検証した。結果は以下のとおりであった。
工藤さんは林班界の沢(2483林班と2484林班の境界)を遡行したものである。この沢は沢幅は2〜4mで、雪が所々に残り流水幅は1〜2mで、深みを避ければ普通の長靴で行ける。沢の入口から距離約200mで二股がある。工藤さんはここで熊と遭遇し、襲われたものである(7日には、この場に長靴が片方あったという)。熊は工藤さんを倒した後、二股から上流に向かって左の沢を数m入った地点から、二股の上部斜面を(倒木などの障碍物がある傾斜10°〜20°の斜面で、地面の凹凸で微妙に斜度が異なる)、距離にして30mほど遺体を引きずり移動して、倒木に添うように置き、遺体に付近の土を手で掛き寄せて数リットルかけたもので、土を爪で掻き集めた跡が残っていた。ここにはまた衣類の引き裂かれたものが遺留していた。しかし、熊は遺体をここに遺留することに不安を感じたようで、遺体をさらにここから距離にして約60m、傾斜10°〜30°の斜面を引きずり上げ(後半の30mは20°〜30°である)、部分的に急斜(40°)となる斜面際の雪上に(この部分の積雪は約20cmだが、付近には雪が無い)斜面を横切るように東西方向に遺体を置き(頭が西、足が東、靴下以外は全裸でうつ伏した状態で両手を胸で斜交し)、遺体の直ぐ上の斜面の土を崩して遺体の下半身に部分的に土をかけ(土の量は40リットルほど)、さらに付近に自生している丈1.5〜2.5mのクマイザサを、長さ1〜2mに咬みきり、それを10数本遺体の上に載せていた。最終的に遺体が置かれていた地所はトドマツ(胸高直径25〜40cm)の疎林地でクマイザサの密生地であるが、その密生地そのものの面積は狭く、遺体の下方十数mから、その下方部十数m間はクマイザサを欠く傾斜の緩い草地(アイヌネギ、カタクリ、エゾエンゴサクなど)で、遺体が遺留されていた下方斜面一帯は適度に明るく(日が射す)熊が好む環境(人もほっと安らぎを感ずる環境)である。要するに遺体付近は、遺体側に潜んでいる自分(熊)も含めて笹藪で、外側からは見難いが、熊自身は笹藪から辺りが見通せて、警戒するのに適した地所である。実際熊は遺体から4mほど西側で潜んで監視していたことを示す熊が臥した跡と約2リットルの新鮮な一回分の糞がその場にあったことから、熊がほぼ終始その場にいたことは確実である。
<刃物の携帯の有無> 携帯していない。
「受傷状況」
遺体は腰から下方部を土で被われていた。頭部と上体部は裸出しており、両手は胸部で組んで身体全体はうつ伏せであった。長靴(marine boots)は両足とも逃げる途中で脱げた。着衣は靴下だけで、右足は灰色の毛糸の短靴下と下に黒色の薄手の短靴下の2枚着用。左足は毛糸の靴下はなく、黒色の薄手の短靴下のみ着用。
<顔面>1 右前頭右額部に≒5cmの創傷、2 右目の顔面部に2,3,4cmの3本の創傷、3 鼻隆上端部から右側顔面に長さ≒12cmの創傷、4 右口唇端部に3cmの創傷、1〜4は爪による創傷である。
<頚部>1 前面部に2筋の爪による長さ3〜4cmの創傷、2 右側部に耳下から頚部にかけて長さ7cmの2本の創傷、3 左頚部と左耳下から各1本長さ6〜7cmの創傷、4 頚部の正中部に長さ4cmの2本の創傷、5 正中部左側に径2cm×3cmの傷あり。
<体背部>1 中位部から下背にかけて爪による刺創66個を数える、その内の10個は長さ2〜5cmの浅い創傷。
<胸部>顕著な傷はない。
<腹部>1 左側腹部(寛骨の上)の筋部食われて欠損。
<臀部>1 背側臀部筋大きく食われて欠損(両側とも)。
<大腿部>1 左大腿部の大部分の筋食われて欠損、2 右大腿部は背部の筋食われて大部分欠損。
<下退部>1 左下退部の背側と内側部、部分的に筋食われて欠損。
<膝部>1 左膝部の筋一部食われて欠損、2 右膝部の皮膚のみ食われて欠損。
<上腕部>1 右上腕は近位部から遠位部まで筋が殆ど食われて欠損、2 左上腕は近位部から肘にかけ外側筋部の殆ど食われて欠損、1 2とも骨迄は達していない。
<前腕部>1 左前腕の外側上位部と内側中位部の筋肉食われ欠損(骨迄は達していない)。
<その他>上記記述以外は殆ど変徴なし。死因は外傷性ショック死。
「加害熊と加害原因」
加害熊は雄の単独個体で、年齢は歯の年輪数から8歳3ヶ月齢(U. arctosの野生個体は2月1日生まれとする)である。手足の横幅は15cm、頭胴長は193cmである。単独の成獣の熊が猟師以外の一般人を襲った1970年以降の事例としては1977年の大成町管内での同一熊による2事件(事件Nos.20, 21)以来の事件である。加害原因は人を食うために襲ったものである。その根拠は、1 襲い倒した人を直ぐに己(熊)が安心し得る場所へと執拗に移動したことが主根拠だが。このほか短時間に2 被害者の身体の筋部を食べていること。さらに3 遺体を土や熊が咬み切ってきたクマイザサで覆い隠そうとしていたこと、による。受傷状況から熊の襲い方を分析すると、被害者は多分10数m以内の至近距離で熊と遭遇し、瞬時に熊に襲われたものであろう。熊は立ち上がった状態で被害者を真正面から手の爪で顔面を瞬間的に攻撃し引っ掻いたために、反射的に被害者がその攻撃を避けるべく頭部を振ったことで頸部に爪が当たり受傷したもので、さらなる熊の攻撃から逃れるべく被害者がもがいていて地面に倒れたもので、この顛末はほんの数秒間のことであろう。その後は熊は被害者を直ぐに己(熊)が安心し得る場所へと衣服を歯で咬み引きずって執拗に移動したもので、衣服はその際に破れ身体から取れたものである。本件の熊は当初から被害者を食う目的で積極的に襲ってきた可能性が非常に強い。この場合は熊に人の接近を知らせるための鳴物は効力がない。ただし本件の被害者も鉈を携帯しそれで反撃していれば生還し得た可能性はあったであろう。
事件4,「事件No. 64」
本件は猟師が熊に反撃され死亡した事件である。
「事件の経過」
2001年5月10日、同町の市街地から北へ5kmの山林で、日高管内門別町富川南5-1-7、関口勇之助さん(81歳、板金業)は、熊猟中に熊を撃ち損じ、反撃され頭顔部を攻撃され死亡した。9日に現場付近で熊が目撃されたため、10日午前4時半頃から猟師11人が二手に分かれて山中に入り、その熊の探索をしていた。午前6時過ぎに関口さんは単独で熊を発見したらしく3発銃弾を発射したが(同僚の猟師が3発の銃声を聞いたことによる)、撃ち損じ熊の致命傷にはならず熊がその場から逃げたので、関口さんはその熊を単独で追跡してほどなく、その熊に逆襲され、先ほどの銃声を聞きつけて同僚が駆けつけると、関口さんに覆い被さっている熊を見つけて射殺した。関口さんはすでに死亡しており、関口さんのライフル銃も折れていた。
「加害熊と加害原因」
加害熊は体重約300kg(推定)、推定5~6歳の雄だという。被害者の顔面がひどく熊に攻撃されていることから、撃ち損じ手負いにしたことは明確である。 加害原因は己を銃撃し傷つけさらに執拗に追跡してくる猟師を排除するために熊が反撃したものである。
総 括
筆者は熊(Ursus arctos)が人を襲う原因は、1 人を食べる対象(食物)として襲う、2 人を戯れ苛立の対象として襲う、3 人をその場から排除するために襲う、に三大別されることを提起してきたが、今般の4件の原因は、事件3(事件No.63)は原因項目の1に該当し、他の3件はいずれも原因項目の3に該当する。 原因項目の3はさらに細分されるが、その細分項目で3件の原因を探ると、事件1(事件No.61)は「子熊が母熊のいうことをきかず、近づいてくる人間から身を潜めようとしない場合に子を守るために」熊が人をその場から排除するために積極的に襲ったものである。事件2と4(事件No.62、64)は猟師に対する反撃で、己を撃ち損じた猟師に対する反撃であると同時に己を狙う猟師をその場から排除するために襲ったものである。いずれにしても今般の4件の事件の原因は総て従来の知見の範疇であった。鳴物を鳴らすことで原因項目3の中の「遭遇」での事故は大部分予防できるが、熊が猟師以外の一般人を襲う原因に、人が鳴物を鳴らそうが鳴らすまいが、「1 人を食うために(事件3「事件No.63」)、あるいは2 二歳の若熊が人を戯れの対象として、あるいは3 子熊が母熊のいうことをきかず、近づいてくる人間から身を潜めようとしない場合に子を守るために(事件1「事件No.61」)熊が人を積極的に襲う場合があり、これらの原因で襲ってきた熊の襲撃から生還するためには、襲い掛かる熊に対し人が鉈などで積極的に反撃する以外ないことは過去の事例から明白である。鉈は我が国で一般人が合法的に携帯できるしかも熊を撃退するのに極めて有効な唯一の武器であり、鉈の携帯まで踏み込まなければ熊事故での死亡は防げないことを前報(門崎、2001)同様強調したい。加害熊の特性として、猟師に対するものは性別・伴子の有無にかかわりなく年齢満2歳以上の個体である。これに対し一般人を襲う個体は1 単独の満2歳ないし3歳か、2 子を伴った母熊である場合が圧倒的に多く、1970年以降3 4歳以上の単独個体が一般人を襲った事例は1977年の大成町管内での同一熊による2事件(事件Nos.20, 21)だけであった。しかし今般の事件3(事件No.63)の加害熊は、年齢が歯の年輪数から8歳3ヶ月齢(U. arctosの野生個体は2月1日生まれとする)と高齢で、本事件はこのような高齢の単独個体が人を襲うことがあるという貴重な例証となった。
謝 辞
事件の検証に当たり、事件No.63(5月6日の札幌市管内定山渓での事件)の現場にご案内戴いた猟友会の田辺連氏と坪山清原氏、同加害熊の体形調査と年齢査定のための歯を提供下さった中井 剛氏、被害実態の検証にご協力戴いた札幌南警察署の遠田隆幸課長、片岡敏彦係長、釧路警察署の田中司郎課長、田中孝志、事件No.62(4月30日の留萌管内遠別町での事件)でのご自身の体験をお話下さった山本展男氏、事件No. 61(4月18日の釧路管内白糠町での事件)の加害熊に関する情報をお話下さった猟友会の深瀬友慈氏に謝意を表する。
引用文献
門崎允昭・犬飼哲夫(2000) ヒグマ、.北海道新聞社.pp.377.
門崎允昭(2001) 2000年度に北海道で発生したヒグマによる人身事件4件、森林野生動 物研究会誌、27: 17-19.