日本熊森協会 2011年総会 農学博士 門崎 允昭 |
|
日本の熊 私は、1970年から、今日に至る42年間、羆をはじめ、北海道に居る、野生動物の、生態・形態・人との関わりについて、調査・研究し、熊に関する学術論文も、37本公表し、現在に至っています。 今日は、それらに基づき、「日本の熊」と言う題で、日本の熊の由来と現状、日本に居る羆と、月輪熊の形態・生態の類似点・相違点、熊が人を襲う原因とその対策、熊が作物や家畜を、食害する原因とその対策、そして、熊と人が共存すべき理由と、その方策 について、お話しします。
|
|
まず、現在、世界にどんな熊が、棲んで居るのかという事を、お話しします。 現在、世界には、7種類の熊が棲んでおり、この内の2種類は、日本にもいます。北半球の北の方に居るものからその名前を言いますと、極北に居る北極熊、そして、ユーラシア大陸(これはアジアとヨーロッパを合わせた大陸のことですが)、ここに広くいる羆(羆は北海道にも居ます)、それから、北アメリカに広く居るアメリカ黒熊・アジアに広く居る月輪熊(月輪熊は本州や四国にいます)、それから、インド等に居るナマケグマ、マレー半島等に居るマレ−グマ・そして、唯一南アメリカに居るメガネグマの7種です。 それでは、熊類とは、どう言う動物を言うのか、と言いますと、身体の造り、形態と言いますが、その特徴として、 @ 手足の指が5本で、手足ともオヤユビが、最も短かい。 また、生態的には、(生態というのは、生活状態の事ですが)。 次に、これらの動物を、日本語で「クマ」と発音しますが、その発音の由来は何かと言えば、今から387年前に(寛永元年、1624年に)日本語の発音の由来について、多田義俊が書いた「和語日本声母伝」によれば、「暗くて黒い物の隅をクマと言うから、黒い獣の意味で熊と言うようになった」と講釈しており、私も案外そんな理由だろうと考えています。 日本では、本州以南にいる熊を、多くの場合「月輪熊」と言いますが、その理由は、この熊の多くの個体に、首下から胸の上部にかけて、白い毛の斑紋があるからです。しかし、1割程の個体は、この白毛の斑紋が全く無く、全身黒毛です。 北海道に居る熊は、月の輪熊とは別種の、羆という種の熊ですが、なぜ、これを羆と発音するかと、言いますと、西暦100年に、中国の許慎(キョシン)が編纂した「説文解字」と言う、漢字の由来などについて書いた、最古の字書に、羆と言う漢字は、音符(音)を表す漢字である罷免の「罷」と、意符(意味)を表す「熊(シォンと発音)」の字との合体字であると書かれており、これを文字通り発音すると、ヒクマとなり、このヒクマの「クがグ」に濁り、羆(ピ−と発音)と発音するようになったのであろうと、私は考えています。 次に、『クマ類の起源』についてお話しします。 以来クマは今日まで2,000万年という悠久の時の流れの中でその時代その土地の環境に適応するために進化して来ました。そしてこの間に色々な種類のクマが出現しては絶滅していった訳です。 エルムの先祖熊をはじめ、初期のクマ類はヨーロッパを舞台に進化したらしく、古い型のクマの化石は総てヨーロッパだけから出土しています。 そして、 今から600万年ないし500万年前になると、頭胴長1mないし1.4m程の学名が小型の熊を意味するUrsus mininus と称するクマがヨーロッパに出現し、これが徐々に体型を大型化させるなど進化しつつ、アジアから北米にも分布を拡大し、その末裔がアジア大陸ではアジアクロクマ(即ち、月輪熊)になり、北米に行った末裔がアメリカクロクマに進化したと考えられています。The bear almanac 2009年版には、世界の月輪熊の生息数は約6万頭、アメリカ黒熊は90万頭と書かれている。 マレー半島にいるマレ−グマと、インドのデカン高原などにいるナマケグマは、相当古い時代に既に出現していたらしく、ナマケグマの最古の化石は、インドのマドラスにあるカルヌル洞穴の、約200万年前の地層から出土しており、マレ−グマの化石も約200万年前の地層から出土しています。特にマレ−グマの化石は、欧州からも出土しており、以前は相当広範な地域に、棲息していたらしい言われています。世界の生息数はマレー熊6千から1万頭、ナマケ熊約1〜2万頭と書かれている。 南米に居る唯一の熊である、メガネグマは、下顎骨の咬筋窩が、二部分に分かれているなど、他のクマ類と全く異なる特徴があるので、相当古い時代に、特殊化した系統のクマの末裔と考えられています。世界のメガネ熊の生息数は約2万頭と書かれている。 要するに、出現年代が新しい種類のクマほど、身体が大型で、しかも、北半球の赤道からより離れた地域、あるいは離れた地域にまで、言い換えますと、寒冷地にまで、分布していると言う特徴があります。 次に、日本の熊の由来について、お話しします。 既にお話したとおり、月の輪熊も羆も、アジア大陸で、その祖型 (月の輪熊はUrsus mininusから、羆はエトルスカスグマUrsus etruscusから)から進化しました。日本で進化したものではないのです。 それでは 、大陸から、日本へ何時・どのようにして分布を広げて、棲み着いたかといいますと、氷河時代に移住してきたものです。氷河時代の年代等は、研究の進展で変わり得ることを前提に述べますと、 日本に熊が移住してきた、と考えられる氷河時代と言うのは、過去に4回あったと言われています。氷河時代と言うのは、原因は未だ、明確ではありませんが、大気中に火山灰が浮遊等して、太陽光が遮られる等して全地球的規模で、数万年単位で、気候が寒冷化した時代を言います。この間、海水が蒸発し、これが雪の原料となり、陸地や氷海に降り積もったものが、低温のため融解せずに、どんどん蓄積した結果、海水が減少し、海面が低下して、氷河期にはアジア大陸と日本列島の総て、またはアジア大陸と日本列島の一部が、陸続きになった、と言う訳です。 この時に、アジア大陸から朝鮮半島を通って、九州・本州に月の輪熊と羆が移住してきた訳です。九州・本州に羆も来たって、と驚ろかれるかもしれませんが、山口県阿武アブ郡阿東アトウ町の岡村石灰採石場、栃木県さくら市葛生クゾウ町の石灰採石場、広島県神石ジンセキ高原町の帝釈タイシャク観音堂遺跡、青森県尻屋崎シリヤザキの日鉄鉱業採石場、などから、月の輪熊や羆の化石が見つかってますので、羆も移住し、棲んでいたことは、間違いありません。 それでは、本州以南の羆はその後どうしたのか。と言うことですが、羆は元来、冷涼な気候を好む体質であることから、氷河期後の、温暖化した気候に、適応しきれず、絶滅した、と私は考えています。北海道からは、この時代の熊類の化石は見つかっていません。北海道で見つかっている熊の遺物は、古い物でも1万年ぐらい前の化石化していない骨で、しかも総て羆で、月の輪熊の骨は人が持ち込んだ物以外見つかっていません。 ですから、月の輪熊は、本州から津軽の陸橋を通って一時的に少数が北海道に移住した可能性はありますが、安定した状態で、自然分布していたことは、無かった、と私は考えています。そして北海道に羆が移住してきたのは、本州よりも新しい時代で、それは今から7万年前〜1.5万年前の5.5間続いた最後の氷河期で、津軽海峡が海となり、日本列島のうち、北海道だけが、サハリンを介してアジア大陸の沿海州と陸続きになっていた時に、渡来してきたと、私は見ています。 日本の熊の現状について、お話しします。 ただ、九州の月輪熊について、言わせて戴きますと、九州では、絶滅したと言われてますが、1999年以降 姿の目撃が2例あることから、私はまだ生息している可能性が、あると考えています。 場所は、いずれも九州中央部付近にある「祖母ソボ・傾山カタムキヤマ山系の、標高は1,600m〜1,700m」での記録です。 もう一つは、その翌年の(2000年)3月19日に、大分県 緒方町オガタチョウで、砂防現場に車で向かう林道で、複数の作業員が、母子2頭(母は体長約1.5m、子は約70cm)が、車の前5m先をのし歩き、雑木林の中に消えるのを見た、と言う情報です。(渡辺紘三、59歳、談)、2000/3/19/道新 次に、北海道の羆の現状についてお話します。
次に、羆と月輪熊の形態・生態の類似点と相違点についてお話しします。 既に述べた事以外の、類似点を上げますと、 相違点は、 熊が人を襲う原因と対策について、お話しします。 私は、1970年から現在(2010年)までの、42年間に北海道で発生した、羆による人身事故74件、総てについて、検証調査しており、それと、過去に本州で発生した人身事故3件、これは既に論文として、公表しており、これと、昨年、本州で発生した人身事故83件の資料、これは主に、新聞記事で、熊森協会の皆さんに、集めて戴いたもので、そのうちの3件は、熊森協会の白川君らに実際に、現場に行き、被害者に面談して、熊に出会ったときの状況、襲われた時の状況、熊の襲い方、その時、熊にどう対応したか、等を調査してもらいました。で、これらを基に、お話しします。 北海道での人身事故は、42年間に74件で、年平均1.8件です、本州ではどうか、昨年だけで、少なくとも、83件発生しています。この数値から見る限り、羆は、人を滅多に襲わないが、月の輪熊は、人を安易に襲う傾向があると言う結論になります。しかし、その真偽については、更なる検証が、必要だと考えています。 死亡者数を比較しますと、北海道では74件の内、27件で被害者が死亡しています。一方、月の輪熊での事故はどうか、と言いますと、昨年の83件の人身事故での、死亡事故は2件です(福島県で70歳♂、鳥取県で82歳♂)。 それでは、次に人身事故の防止策について、お話しします。 熊は先に述べた様に、孤独性の強い獣で、発情した雄と雌が短期間行動を共にするのと、子を養育している母グマが、子を自立させるまで連れ歩くのと、それから、母から自立した兄弟熊が、短期間行動を共にする以外、常に単独行動者で、熊同士出会うことも嫌います。ですから、異種動物である人と遭遇すると、時に我を忘れて、先制攻撃してくることが在るわけです。 それでは、このような時どうするか。北海道で、猟師以外の一般が1970年〜現在までの42年間襲われた事故44件の内、死亡が18件、生還が26件で、死亡者は、皆素手で対抗しているのに対し、生還者は、皆刃物や、刃物が無い場合には、石などを掴み持ち、手足をばたつかせて、羆に積極的に、反撃しているのが特徴です。 誰も頭や首を両手で覆い、「無抵抗」や「死んだ振り」をして、熊の攻撃に耐え忍んだ者はいません。意識ある状態で、熊の爪や歯による攻撃に、じっと耐え得る人間など居ません。にもかかわらず、多くの熊研究者なる者は、臆面もなくこの「死んだ振り」を推奨し、恥じらいもなく、言ったり、講習会やテレビで、実演して見せたりしているわけです。人身事故を2、3件でも、検証調査していれば、こんな戯言は、言えないはずですが、していないから、こんな妄言が、言える訳です。 昨年の本州の月輪熊の、83件の人身事故でも、熊に掛かられると同時に、皆反射的に、熊に全力で抵抗しています。誰も無抵抗でいた者はいません。
そこで、私は30年も前から、熊と遭遇する可能性がある場所に、行く場合には、ホイッスルと鉈ナタの携帯を、熊による人身事故を防ぎ、襲われた場合に被害を最小限にし、生還するための必需品として、薦めています。 鉈は、日本で一般人が合法的に所持し得る、唯一の武器になる刃物です。 これに対し、熊を鉈等の刃物で、叩いたりしたら、かえって、熊が猛り、被害が大きくなると、想像で言う者がいますが、羆での検証事例では、そう言う事例はありません。 先ほど言いましたが、羆に襲われての一般人の死亡事件は、1970年以降今日まで18件在りますが、これらの被害者も、私は鉈などで反撃していれば、死なずにすんだと私は確信しています。 検証しなければ、何が正しい対応策なのか、分かりません。ですから、熊による人身事件を予防するためにも、そして、万が一にも襲われた場合に、その被害を最小限にとどめるためにも、被害の検証調査は非常に重要なことで、そう言う意味で、熊森の皆さんにも、月輪熊による事件の検証を、お願いしているわけです。 唐辛子を主成分とする「熊除けガススプレイ」について言えば、瞬時に襲い来る熊には通用しないし、それよりも、人が、このガスを、少しでも吸ったら、呼吸ができなくなる。また、肌にガスが僅か付着しただけで、皮膚が炎症起こし、我慢できないうえ、目に入ったら、目を開けていられない、そう言う、しろものである。と言うこと。それを承知で、使うなら別ですが、私は、鉈の方が有効だと、 熊が家畜や作物果樹牧草等を食害する原因は、熊の食性が雑食性で、食域が非常に広いことにあります。自然物では、草本類、木本類、動物性のものは虫類から哺乳類に至るまで、腐肉まで食べるし、羆に至っては人を襲って食べることもあるし、土葬の墓をあばいて、遺体を食べることも以前はありましたし、いまでも希に相手を倒して共食いすることもあります。ですから、時に 家畜や作物果樹牧草等を食べたりする訳です。野生の熊を見てますと、羆の場合は小熊は4ヶ月令になりますと、母熊が食べているものを、見ていて、それを食べます。最初、臭いを嗅ぎ、それから、舌先で触れてみて、それから、やおら、少し食べて見て、そして、安心したように、食べ出します。家畜や作物果樹牧草等は、食べた経験が無くても、食べられるものか否かを本能的に判断し、熊は食べると、私は理解しています。 そこで対策としては、熊の出る場所に、大体地域や場所でそのような箇所は決まっていますから、そう言う場所に「有刺鉄線で網の目15cm角で、地面から高さ1.8m程の柵を造るなり、地面の幅3m程の間に有刺鉄線を直径1m程のリング状に広げたものを前後2列敷設」するとよい。 電気柵は、草と触れると漏電するので、除草が必要など、保守管理に経費がかかり不適です。 本数が少ない果樹の場合、幹の高さが3m以上ある場合には、木の幹の地面から1.5から2.5mの間を、有刺鉄線で10cm間隔で巻くなどでその食害は予防できます。 時に熊が、街中に出てくることがありますが、熊が街中を移動する場合、熊は庭木等木のあるところから、木のあるところへ向かって、移動する傾向があります。これは、羆も月の輪熊も、自然での主たる生息地が森林であるために、本能的にそのような行動に出る訳です。 また、ガラスに体当たりして、熊が建物の中に侵入する事がありますが、これはガラスに映った己の姿を、他の熊と見誤り、既に述べた通り、熊は孤独性が強いために、相手を攻撃するために、侵入するものと、私は解釈しています。 熊と人が共存すべき理由とその方策について、私の考えを申し上げます。 @ 熊を野生状態で生存を認めるべきだと言う私の考えの基盤は、「野生生物に対する倫理(これは生物の一員として人が為すべき正しき道)」の問題だと考えるからです。 この大地は総ての生き物の共有物であるはずで、熊が既に棲息している場所がある地域では、その地域で、人は熊と共存する責務があるはずだし、また責務とすべきだと私は考えています。 熊を予防的に駆除殺すのは、人間の傲オゴりで、生物倫理に反する行為だと私は考えています。 狩猟を如何に取り扱うかと言う問題は別にして(猟区は最奥人家から2km奥までの範囲が妥当だと思いますが)、熊の駆除制度を止め得て、我が国も初めて本物の自然保護が確立し得たと公言し得えると私は捉えています。 現在の多くの熊研究者なる者は、熊を檻で捕らえ、麻酔して、血や歯を採取し、発信器を付けての調査や体毛でのDNA調査など、これら一連の行為は、現在までの流れと結果を見ても、人身事故の予防や熊の保全に全く寄与しておらず、熊を一方的に犠牲にするこのような行為は、人の道からも、野生動物に対する倫理面からも、私は邪道だ断じており、これを止めさせる世論の形成が必要だと私は強く思います。 熊を、自然状態で、残し続けるための鍵は、人身事故と作物・家畜の被害の予防が、実現し得るか否かにかかっていると私は考えており、今後本州で発生した、この種の被害について、熊森協会として、独自の検証調査を為し、それを基に被害防止策を見出し、世間や行政に、それを啓蒙し、熊を殺すのを止よう、と言う世論作りの形成と、その実施を、行政に、迫って行くことが、必要ではないか、と私は考えます。 そのためには、私も協力を惜しまないつもりです。 |
|
|